
〒211-0051 川崎市中原区宮内1-11-1
TEL:044-766-5546 FAX:044-751-2822
メール:HPお問い合わせフォームより
【寺院由来】
東樹院は大栄山東樹院多聞寺と称し、本尊には不動明王尊を安置しております。
創建は、室町時代(1458年)、武州の豪族、平氏の流れである石井源左衛門により、当時宮内にある毘沙門天の社が見出されました。此処に堂宇を再建し、毘沙門天を祀り、一族の懇情に依り法印義範和尚が法灯を開いたのが端緒であるとされています。
その後、寛永年中(1624-1644)に義範和尚の弟子である近江の法印尊義和尚がこの地方に訪れ、石井氏の菩提を弔い堂宇を建立し、不動明王尊を御本尊として勧請・安置したと云われております。
【霊場・札所】
・川崎七福神(毘沙門天)
【行事・事業・活動】
・元旦祭大護摩祈祷会(1月1日) ・節分会(2月3日) ・春彼岸会《水洗い供養》(3月18日)
・水子供養(3月24日) ・花まつり(4月8日) ・宮内不動尊大護摩祈祷会(5月28日)
・盂蘭盆会《水洗い供養》(8月13日) ・施餓鬼会(8月20日)
・秋彼岸会《水洗い供養》(9月20日) ・宮内不動尊大護摩祈禱会(9月28日)

常楽寺
(じょうらくじ)
〒211-0051 川崎市中原区宮内4-12-14
TEL:044-766-5068 FAX:044-766-5068
【寺院由来】
常楽寺は『中右記』中御門右大臣宗忠日記 巻16に平治元年(1159)に新御願寺として「五丁歩免税」と記されている。春日山は明治4年(1871)の神仏分離まで春日神社は当寺が別当であったことによる。医王院は薬師如来を指し、信徒の眼病、所願成就護摩供が厳修されています。
当山には宝仏殿があり、薬師如来と十二神将は南北朝、不動明王は元和6年(1620)家康の病気平癒の祈願といわれる。また極彩色の二河白道は江戸初期、両界曼荼羅は南北朝で菊と桐の紋章入り、4世紀のコブツキ曲玉等があり、文化財を収容している。
【霊場・札所】
・玉川八十八ヶ所霊場 第26番札所
【行事・事業・活動】
・宮内薬師大護摩祈祷会(1月12日) ・二年まいり(12月31日 大晦日)
【施設】
・常楽寺檀信徒会館 ・日本漫画博物館 まんが寺(本堂内)

西明寺
(さいみょうじ)

寶藏寺
(ほうぞうじ)
〒211-0053 川崎市中原区上小田中1-4-13
TEL:044-788-7591 FAX:044-788-7591
【寺院由来】
天門年中(1532-1555)に原勘解由左衛門勝光がこの地に住居し、大谷戸と名付ける。
天正年中(1573-1592)に自ずから民間に下り、村内に原氏祈願所として寶藏寺を建立する。
【霊場・札所】
・玉川八十八ヶ所霊場 第28番札所 ・川崎七福神(弁財天)

〒211-0025 川崎市中原区木月4-22-32
TEL:044-411-3725 FAX:044-411-3241
HP:http://kawasaki-dairakuji.com/
【寺院由来】
昔より木月は墓地が多く、多分経墓地であった所に小さな庵を建て、近くに川崎大師という大寺が有った為、真言宗の僧侶を導師として葬儀等を行ったと思われます。
その後、長教和上が初代の住職として布教にあたられ、大日如来を本尊とした所から遍照院と名づけ、脇仏として不動明王と般若菩薩を安置、現在に至っている。
【霊場・札所】
・玉川八十八ヶ所霊場 第16番札所 ・酉歳のお地蔵様 第13番 ・川崎七福神(布袋尊)

慈観寺
(じかんじ)
〒211-0062 川崎市中原区小杉陣屋町2-15-2
TEL:044-733-1010 FAX:
【寺院由来】
昭和45年(1970)、竹村教智大僧正 開山。
【行事・事業・活動】
・観音祭(毎月18日)

正受院
(しょうじゅいん)
〒211-0053 川崎市中原区上小田中1-29-33
TEL:044-766-4936 FAX:044-766-4929
【寺院由来】
当院は開創当初には天台宗に属し、慶長年間の記録では“正樹院”“正寿院”“西寿庵”“西寄庵”などとの記載例がありますがいずれも当院の古称です。
江戸時代初期の慶長2年(1597)に、光蓮社明誉分太和尚が原勘解由左衛門勝光の助縁を得て浄土宗に改宗、塔超山正受院浄教寺と公称し、泉澤寺の末寺になりました。開山の明誉上人は寛永7年(1630)4月1日に示寂しました。
現本堂は江戸時代後期の光格天皇の御代(1779-1817)に、六世海誉上人説聞和尚が建立、大正12年(1923)の関東大震災にも耐え、戦前・戦後の数回にわたる改修により、建立以来2百余年のたたずまいを今に伝えています。
【行事・事業・活動】
【年中行事】
・修正会(1月) ・春・秋彼岸会(3月・9月) ・施餓鬼会(4月)
・十夜会(11月) ・成道会(12月)
【布教行事】
※現在は新型コロナの影響により未開催
・お経の会(毎月) ・お寺ヨガ(毎月)
【施設】
・本堂 ・庫裡 ・十三重塔 ・檀信徒会館 ・結縁塔(永代供養墓)

泉澤寺
(せんたくじ)
〒211-0053 川崎市中原区上小田中7-20-5
TEL:044-722-2016 FAX:044-722-3155
【寺院由来】
当寺は寶林山運光院泉澤寺と号し、浄土宗に属す。京都知恩院の末寺。
延徳3年(1491)武蔵国世田谷城主 吉良頼高の菩提寺として武蔵国北多摩郡烏山に開基建立され、豪壮な七堂伽藍の甍は武蔵野の一角にその美を誇っていたという。
天文17年(1549)災禍に遭い、伽藍は悉く消失。時の世田谷城主 吉良頼康は同年9月、上小田中の地に移転再興し、その帰依によって寺門は大いに興隆し、吉良氏の庇護により門前市は隆盛を極めた。
徳川時代には幕府歴代将軍より朱印領20石を賜り、徳川家の霊牌所として永く尊崇され、寺勢は広く近郷に周知された。延享2年(1745)再度災禍の厄に遭い堂宇の大半を消失、安永7年(1778)に至り漸く現在の堂宇が復興完成した。
爾後、専ら檀信徒の護持のもと開創以来五百余年の念仏法灯を継承して今日に至る。
なお、当山所蔵の古文書13点、本堂、銅造阿弥陀如来立像、木像四天立像4躯は川崎市文化財に指定されている。
【霊場・札所】
・準西国稲毛三十三所観音霊場 第17番札所

〒211-0051 川崎市中原区宮内4-3-12
TEL:044-777-6544 FAX:044-777-3290
メール:info@koganji.net
【寺院由来】
寺伝によれば、新田義貞の子・義興、義宗らと足利尊氏との鎌倉争奪の戦乱で亡くなった武士を弔う草庵として始まったと伝えられています。
江戸時代初期に府中街道と二ヶ領用水に囲まれた寺領(阿弥陀堂領)を賜受され、寛永15年(1638)西本願寺第13代良如上人に随喜した福専房釈順徹によって、浄土真宗本願寺派の寺院となりました。
【行事・事業・活動】
・元旦会(1月元旦) ・春彼岸会(3月) ・永代経法要(4月29日) ・盂蘭盆会(7月、8月)
・秋彼岸会(9月) ・報恩講法要(12月2日、3日)
・仏教講座 ・十三夜(十五夜)音楽会
【施設】
・至心學舎(多目的施設) ・幽篁堂(多目的施設)

西福寺
(さいふくじ)
〒211-0013 川崎市中原区上平間420
TEL:044-511-6242 FAX:044-511-6242
【寺院由来】
当寺は、人皇第106代正親町天皇の御宇、天正年間(1573-1592)、今より約430年の昔、開基釋浄覚法師が小さな念仏堂を造り、歓喜庵と名づけたことより始まります。以後、代を重ねるごとにご門徒も増え、中興開山といわれる第9世釋京岷法師の時代に、ようやく寺の様相を見るようになりました。
昭和46年(1971)には、360余年存続した慶長12年(1607)建立の前本堂に代わって、鉄筋二階建ての現本堂が新築されました。
当初は本願寺派(本山:西本願寺)としてスタートしました。それ故、寺号も「西」をとり、さらに渡辺綱の法名「相福院殿」の「福」を選んで、「西福寺」と名づけたといわれています。しかしその後、寛永年間(1624-1644)に宜如上人の許しを得て、大谷派(本山:京都 東本願寺)に転じました。以来、真宗大谷派の末寺として法灯を継承し今日に至っています。
【行事・事業・活動】
・修正会(元旦) ・報恩講(11月3日) ・同朋の会(毎月1回)

又玄寺
(ゆうげんじ)
〒211-0043
TEL:044-777-3712 FAX:044-751-3735
【寺院由来】
元禄6年(1693)、佐渡国出身で正眼国師の弟子 禅奥(ぜんのう)と称する僧が、この地に草庵を結び、臨済禅を流布させるべく、当地新城村の中川重興(なかがわしげおき)と協力して、江戸麻布の光林寺第3世霊源周蔭(れいげんしゅういん)禅師を懇請し、当寺の開祖として法莚を開いたのが端緒である。
その後、当山第3世石翠(せきすい)和尚の時、堂宇が完成し、正式に「正覚山又玄寺」と称して、享保17年(1732)9月20日に落慶奉讃会を厳修した。しかし、明和4年(1767)火災に罹い焼失、以後、無住となり堂宇は荒廃してしまったという。
慶応年間(1865-1868)、玉鳳玉川(ぎょくほうぎょくせん)禅師が住職となり、本堂と隣接の庫裡を再建し、明治14年(1881)、橘村千年所在の観音堂(聖観世音菩薩、准秩父観音霊場第6番札所)を移築し、境内の整備につとめた。だが、大正12年(1923)関東大震災のため倒潰した。平成19年(2007)に本堂・観音堂その他伽藍は改築された。
このほか境内には、寛文3年(1663)に建立された地蔵菩薩と庚申供養塔が遺されている。
【霊場・札所】
准秩父観音霊場 第6番札所
【行事・事業・活動】
・修正会(1月1日) ・涅槃会(2月15日) ・春彼岸会(3月) ・降誕会(4月8日)
・施餓鬼会(7月9日) ・盂蘭盆会(7月15日) ・秋彼岸会(9月) ・成道会(12月8日)
【施設】
・檀信徒用法要葬祭ホール

全龍寺
(ぜんりゅうじ)
〒211-0041 川崎市中原区下小田中5-3-15
TEL:044-766-7627 FAX:044-766-7627
【寺院由来】
永禄元年(1558)もともと当地にあった観音堂をもって逆翁和尚により全龍寺の前身とされる常泉寺が開創される。常泉寺時代の詳細は不明。
寛永15年(1638)玉室梵光和尚が入寺した際、「福聚山全龍寺」と改め、本寺であった徳翁寺第7世揚山宗播和尚を勧請して開山とし、玉室和尚自身は2世となった。
文久2年(1862)9月26日、火災により本堂焼失したため、江戸時代の動向を知る詳細な資料は残っていないが、境内に残る石地蔵や石経塔などからわずかばかり知ることができる。
近代、大正時代には関東大震災により本堂・庫裡など伽藍がすべて倒壊する大損害を被ったが、檀信徒協力のもと、昭和5年(1930)に本堂と仮庫裡が再建され、現在に至る(庫裡は昭和38年に再建された)。
【霊場・札所】
准秩父観音霊場 第5番札所
【行事・事業・活動】
・年頭祝讃諷経(元旦) ・涅槃会(2月15日) ・春彼岸会(春分中日)
・恒規大施餓鬼会《灌仏会併修》(5月第2日曜日) ・盂蘭盆会(8月14日)
・開山忌(9月21日) ・秋彼岸会(秋分中日) ・両祖忌(9月29日)
・達磨忌(10月5日) ・成道会(12月8日)
【施設】
・花供養塔

大乘院
(だいじょういん)
〒211-0064 川崎市中原区今井南町2番1号
TEL:044-722-2768 FAX:044-722-9249
メール:konsei-7676-daijhoin@almond.ocn.ne.jp
【寺院由来】
寛永2年(1625)5月創建、山号は今井山と称す。本尊は聖観世音菩薩で一尺一寸の坐像、『武蔵風土記』によれば恵心僧都の作と云い伝えられている。
開山は本寺・寶泉寺(鶴見区下末吉)第7世廬州呑匡大和尚(寛永20年《1643》9月13日示寂)。開基は松平土佐守の息女で、故あってこの一寺を建立し延宝8年(1680)6月21日に没した。
火災により本堂・庫裏を全焼し、数代にわたり当院存亡の時代が続いたが、文化8年(1811)4月に第21世覺雲源成大和尚が庫裏を再建、天保14年(1843)には当院中興の祖と云われる第24世實道明宗大和尚が本堂を建立した。わずかな檀徒によって本堂を再建したことは、如何に大事業であったか想像にかたくない。
大正12年(1923)の関東大震災により本堂・庫裏が半壊し、第27世佛嶽龍法大和尚が復興。昭和30年(1955)頃より第28世祖印龍宏大和尚が檀信徒と共に伽藍整備に尽力し、昭和60年(1985)11月に現在の本堂を落慶した。平成5年(1993)頃から境内を拡張し、観音堂や開山堂を建立した。
【霊場・札所】
・准秩父観音霊場 第9番札所
【行事・事業・活動】
・定期坐禅会(毎月第3土曜日15:00~16:00)
・不定期坐禅会(川崎市立今井小学校6年生坐禅会、キッズスクエア坐禅会、今井南町自治会坐禅会、少年友の会川崎支部坐禅会)
【施設】
・本堂 ・開山堂 ・客殿(第1、第2) ・庫院
・駐車場 ・観音堂(葬儀会場) ・やすらぎ陵苑(永代供養墓)

安楽寺
(あんらくじ)
〒211-0041 川崎市中原区下小田中2-36-1
TEL:044-766-9098 FAX:044-788-2192
メール:sotokofusan-anrakuji@yahoo.co.jp
【寺院由来】
天文2年(1533)創建の曹洞宗の寺院です。山号の向冨山は甲斐国から来た高順和尚により建立されたことに由来します。平坦な下小田中に位置する安楽寺は徒歩でも自転車でもお参りしやすいお寺です。
【霊場・札所】
准秩父観音霊場 第8番
【行事・事業・活動】
・盂蘭盆大施餓鬼会法要(8月7日) ・春秋彼岸会中日法要
・地獄絵(江戸中期作)御開帳(毎年1月16日、8月16日) ほか
【施設】
・駐車場12台 ・永代供養墓

清浄庵
(せいじょうあん)
※安楽寺兼務
〒211-0013 川崎市中原区上平間174
TEL:044-555-1983 FAX:044-788-2192(安楽寺)
メール:sotokofusan-seijoan@yahoo.co.jp
【寺院由来】
甲斐国武田信玄二十四将の一人加藤駿河守信邦の弟である僧・高順が下小田中(現在の安楽寺)に住庵をおいた。その高順和尚の弟が平間の地に移り住み、加藤家菩提の為に立てられた庵が始まりとされる。
その後、安楽寺の兼務寺となり同じ山号を拝請し向冨山とした。

〒211-0025
TEL:044-411-3645 FAX:044-433-7634
HP:https://temple.nichiden.or.jp/0051058-myoukaiji/
【寺院由来】
このお寺は、普賢山と号します。妙海寺の創建年代等は不詳ですが、現存するお寺の仏具に「文治3年春(1187)源右門匠義宗」とあり、鎌倉時代以前には創建、薬師寺と号していたといいます。木月村の村民、鳥海讃岐が開基となり、佛性院日正上人が天文3年(1534)に開山、近隣に末寺を擁する小本寺格の寺院だったといいます。
妙海寺の創立は天文3年(1534年)ですが、この天文3年は織田信長の生まれた年であります。その頃、この近くに鳥海讃岐と云う人がすんで居ました。寒い冬も去った3月、疫病の為一家悉く床に臥し苦しんでいる中で、当主、鳥海讃岐の夢まくらに薬師如来が現れ「明朝このあたりに諸国巡礼の高僧が通る。招じて祈祷を請え」とのお告げを受けました。果たせるかな、翌朝一人の旅僧が通りかかったので招じて祈祷を頼むと、たちどころに病が癒えたとあります。鳥海讃岐は大変喜び上人に帰依し、薬師寺を改め鳥海の海、妙法蓮華経の妙をとって妙海寺とし、上人を招請して住職としました。此の上人こそ京都布教の為下降して来た、仏性院日正上人でありました。その後上人は妙海寺を根拠として近隣の里人に仏法を説いて多くの信者を作り、その結果として門弟二世の日徳上人は鹿島田浄蓮寺を、門弟三世日広上人は上平間法田寺を、門弟四世日啓上人は北加瀬了源寺を開くに至りました。
徳川時代には、徳川2代将軍徳川秀忠の娘「和子」(まさこ)姫の祈願所となります。寛永元年(1624)11月和子姫が宮家に入り、第108代後水尾天皇の中宮(皇后)となります。中宮は東福門院と尊称され、毎年京都より使者の代参があり、宮家の庇護の下に栄えて来たので有ります。東福門院様の親王が京都岩倉に實相院門主となります(石座門跡)。明治に火災で焼失した本堂は大変立派なものであったとあります。その折残った門は昭和二〇年戦災で焼けるまであり、茅葺きで立派な門で扉には菊の御紋章がついておりました。實相院の宮家が祈祷する時は、緋金の實相院菊の紋を入れた袈裟を許され、拝領の實相院菊の紋の入った「袈裟」「御令旨」と文箱書面並に東福門院様の「曼荼羅」が現存しております。
【行事・事業・活動】
・元日祝禱会(1月1日) ・節分会(2月3日) ・釈尊涅槃会(2月15日) ・宗祖降誕会(2月16日)
・彼岸題目会(3月18日) ・釈尊誕生会(4月8日) ・寺子屋キャンプ(7月末日)
・施餓鬼会(8月15日) ・彼岸題目会(9月20日) ・宗祖会式(11月11日)
【施設】
・東福門院様の祈願所 ・社会福祉法人 川崎立正福祉会
・木月保育園(きづきほいくえん) ・木月ほほえみ保育園(きづきほほえみほいくえん)

成就院
(じょうじゅいん)
〒211-0062 川崎市中原区小杉陣屋町1-32-1
TEL:044-733-1265 FAX:044-733-1265
【寺院由来】
正治元年(1195)、夏から秋にかけて疫病が流行した時、この地域を領していた稲毛三郎重成は大変心を痛めていた。その時、玉川べりに庵を作り、行を修していた恵日和尚の霊験の明正を聞き、持仏の弘法大師像を贈り、疫病が治まるよう祈願してほしいと頼んだところ、その効験があらわれ、疫病は治まった。その話を聞き、江戸時代は参詣の人で大変賑わったという。
【霊場・札所】
玉川八十八ヶ所霊場
【行事・事業・活動】
・春秋彼岸会法要(春分・秋分の日) ・施餓鬼法要(7月15日) ・団子大師法要(11月20日)